バレンシアガの歴史(スペイン内乱まで)

 バレンシアガ(Balanciaga)は、クリストバル・バレンシアガによって設立されたファッションブランドで伝説ともいえるブランドです。1895年、スペインに生まれたクリストバル・バレンシアガは、貴族御用達の仕立て屋として若い頃から才能を発揮していました。カサ・トレス公爵夫人の着るフランス製の服のリメークをなどを行なっていたバレンシアガは、1815年にはサン・セバスチャンに念願の仕立屋「メゾン」を開設します。1919年には、同公爵の援助の下に、パリのオートクチュール界に参加しました。パリのモードの要素をバランス良く配合した作品を手掛けるバレンシアガは、スペイン人の間で話題となり高評価を得ることに繋がりました。その中でも富裕層である貴族たちから絶賛されたバレンシアガのメゾンは一躍、人気メゾンとなっていきました。しかし、1931年スペイン革命により、スペイン国家が君主制から共和制へと移行したのを機に、バレンシアガの顧客は減少傾向をたどることになります。1936年にはスペイン内乱を体験、すべてのメゾンを戦火で失うことになり、バレンシアガ倒産を経験することになるのです。

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バレンシアガの歴史(フランス、パリ時代)

 すべてのメゾンを戦火で失うことになり、倒産を経験したクリストバル・バレンシアガは、活動の場をスペインからフランスへと移します。スペインからフランスに移住し、活動の本拠をパリに移したバレンシアガは1937年8月、パリのジョルジュ・サンク通りにメゾン「バレンシアガ」開店、本格的なデザイナーの活動を始めました。ベラスケスからゴヤに至るスペイン絵画の影響を強く受けたバレンシアガは、それらの情熱をモダンに洗練し、一挙に一流デザイナーにランクされました。世界的に有名なファッション雑誌「ハーパース・バザー」の伝説的な編集長であるカーメル・スノーが初期のバレンシアガの顧客にいることが、バレンシアガの素晴しさを感じさせてくれます。1938年には、後のディオールの「ニュールック」の前身ともいえるスタイルの「ゲピエ・ルック」、1957年にはスペインの芸術と民族衣装からインスピレーションを得た「ベイビー・ドール・ルック(baby doll look)」、1958年にはシンプリシティを追求したシュミーズ・ドレスの「サック・ドレス」などバレンシアガの才能は輝き続けます。

バレンシアガの歴史(バレンシアガの引退・死後)

 クリストバル・バレンシアガは、「バレンシアガのモードに影響を受けないデザイナーはいない」と言われ、バレンシアガのメゾンからは、ユベール・ド・ジバンシー、アンドレ・クレージュ、エマニュエル・ウンガロらが輩出されました。しかし、時代はオートクチュール(高級仕立て服)からプレタポルテ(既製服)が主流と変わりつつありました。時代の変化を感じ取ったバレンシアガは、「プレタに乗り出すには、あまりにもクチュールを知りすぎた」との名言を残し、1968年メゾンを閉鎖し、モード界から引退しました。クリストバル・バレンシアガは、1972年に生まれ故郷でもあるスペインで亡くなります。クリストバル・バレンシアガの死後、バレンシアガはジャン パトゥーのメゾン出身のミシェル ゴマをデザイナーに迎えて復活します。現在のバレンシアガは、フランス人のニコラ・ゲスキエールが主任デザイナーを務めています。2001年グッチグループがバレンシアガを買収、バレンシアガはグッチグループの傘下に入ることになります。しかし、バレンシアガはグッチ・グループ傘下の独立した会社として展開され、バレンシアガらしさは残っています。

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Copyright © 2008 バレンシアガの歴史を知りましょう。